プロジェクトストリー03 ミャンマー新会社設立プロジェクト 前代未聞のプロジェクトに賭けたエンジニアたちの思い

ミャンマーの建設省とJFEの思惑が一致

国土の中央を流れる大河イラワジ川によって、大きく東西が分断されているミャンマー。交通、物流の動脈となる橋梁の建設は、急速な経済
発展を遂げている同国にとっての至上命題であった。JFEエンジニアリングは1995年にヤンゴンの現地事務所を開設。2000年からミャンマーの建設省、および国営工場とともに橋梁の建設工事を始動させていた。2012年、軍事政権が終焉を迎え民主化への道が開かれたある日、建設省サイドからJFEエンジニアリングの元に、ある協力要請があった。それは管轄の違う国営工場ではなく、建設省傘下の工場を新たに立ち上げ直接管理をすることでスムーズにインフラ整備を進めたいとのこと。そこで全面的に協力してもらえないかだろうかというものだった。
「我々もちょうどその頃、国営工場を指導しながら商品を作って納めていくという"供給ビジネス"を、さらに発展させ、現地に自社の工場を持つべきではないだろうか?という議論を交わしていたところでした。では、どうやって作ろう?という段階で、そのような打診があったので、工場の立ち上げを進めるべきと判断したのです」と、プロジェクトリーダーの三輪は当時を振り返る。ところが全社的に見ても現地で相手国政府と共にビジネスを創ることなど全く前例の無い話。しかも、ミャンマー建設省からは"日本品質の橋梁をミャンマー価格で製造してほしい"というミッションを与えられていた。
「会社の登記や銀行開設などの諸手続きは事務系スタッフに任せることにして、私たち技術系スタッフはそのミッションを遂行するために、どのような設備を導入しどのような製造ラインを整備すべきか、工場建設に関する計画づくりに没頭しました。いかに初期投資を最低限に抑える一方で、日本の品質をしっかりと担保するために様々な観点から検討が行われました」。

社内エンジニアが総力をあげて工場を建設

三輪たちは先ず、ミャンマーには優秀で勤勉な人材が多い点に着目。比較的安価で雇用ができるため、高価なオート―メーションの機械を導入するより、なるべく人の手を使う製造ラインを計画することに。勿論、全てオーダーメイドの製品となるので、品質は作業者一人ひとりのワークマンシップに左右される。彼らをしっかり指導していけば、安価でありながら高品質を確保できると判断した結果でもあった。当然のことながら建設費用も抑えなくてはならない。
「通常であればゼネコンに依頼して全てお任せすればいいのでしょうが、予算を考えるとそうもいかない。当社はエンジニアリング会社で、社内に土木や建築のプロフェッショナルがたくさんいる。現地の中堅建設会社を集めて、私たちが管理・指導を行いながら工事を進めていけば、安価でいい工場が建設出来るに違いないと確信したのです」。
三輪は、早速社内で選りすぐりのエンジニアを呼び寄せ、コンストラクションマネージャーとして現地の建設会社へ指示してもらうことに。工程、安全管理に対する意識が決して高いとはいえなかったミャンマー人作業者に、つきっきりで指導をしながら急ピッチで建設を進めていった。彼らの活躍のおかげで、驚くことに当初計画の半分の期間、そして投資額の範囲内で工事が完了。勿論、無事故・無災害で品質にも問題はみられなかった。
「当時のミャンマーでは、このように"現地企業JV ※"のようなスタイルで工事を進める例などありませんでした。私たちが成功を収めてからは、今ではすっかりポピュラーとなっているようです」。
※JV・・・joint-ventureの略。
大規模な建設工事を、複数の企業が共同で請け負うために、一時的に作る組織。

優秀な人材を確保するためにやってきたこと

工場建設を進めると同時に、三輪たちは工場内で働く作業者と、スタッフとしてエンジニアリングを担っていく人材の確保にも乗り出していた。しかし、経済発展が著しいミャンマーでは、優秀な人材の引き抜き合戦が活発化。東南アジア特有の雇用概念により、終身雇用ではなく、少しでも給料の高い会社を求めるという人材の流動化が進んでいる状況だった。
「資金が潤沢にあるわけではないので、リーズナブルに雇用できる人材を集めて教育をしていくのがベターだと考えました。また、完成した橋梁の写真を彼らに見せ、社会貢献をしていると実感してもらうことで、自分の仕事に誇りを持って定着してもらうよう働きかけました。そうすることで、志の高い人だけが残っていく。少数精鋭でも生産性の高い組織ができあがっていくと考えました」。
また、会社として、より現地に貢献したいという思いから、2002年から、ミャンマー人を日本に呼んで技術指導を行ってきたが、その卒業生たちが三輪たちの協力要請に快諾。日本で教育を受けてきた彼らは技術力のみならず、いわゆる"日本式"の働き方を理解しているという利点もあった。こうして集まったコアな人材が中心となって求人も順調に進み、JFEエンジニアリングのワークマンシップを理解するミャンマー人の組織ができあがっていったのだ。
「ここまで順調に来られたのも、当社に所属する優秀なエンジニアたちの協力と、これまで当社が周囲に対して継続的に進めてきた社会貢献活動のおかげ。全てが実を結んだという感覚がありました」。

"異質な"プロジェクトがもたらせたもの

2013年11月に登記が完了し、ミャンマー建設省とJFEによる合弁会社「J&Mスチールソリューションズ」が誕生。2014年7月に本格稼働を開始した。そして同月に、隣国ラオスで使用する橋梁部材の初出荷を無事に済ませた。「ミャンマー建設省は本気でした。稼働開始以来、次から次へと仕事を発注。現在は二交代制・24時間フル稼働の状況で、受注残もかなりの量となっています」。
今でも日本とミャンマーの間を頻繁に行き来しながら、新会社の発展を見守り続けている三輪。日に日に現地で働くミャンマー人たちのスキルがあがっていることが確認できるのがなによりも嬉しいという。
「当社自体はエンジニアリングの会社なので、これまでは受注してモノを作って形にするという、単一プロジェクトを次から次へとこなしていくというビジネススタイルで進めてきました。しかし、今回は現地に乗り込んで合弁会社を設立し長期にわたってビジネスを続けていくという、新しいモデルを作ることができたという意味でも大変意義のある事例だと思っています」。
それは、最初にミャンマー建設省からの打診を受けた三輪自身、長い間漠然と抱いていた夢でもあったという。
「これまでミャンマーやシンガポールなどに赴任し、いくつもの工場で技術指導を行ってきましたが、いつかは自分の工場を持ちたいという願望が生まれていました。私のそんな思いを、会社がしっかり受け止め、後押しをしてくれたことに感謝したいと思います」。
さらに三輪は、今回の異質ともいえるプロジェクトの成功を、社内の文化として浸透させていきたいという。「社員全員が、今、自分が携わっているプロジェクトが単一のものとして終わると捉えるのでなく、ここを入り口として将来へ繋げていく、そのような糸口はないのか考えるようになっていけばと考えます。夢は限りなく広がっていくはずですし、仕事のやりがいや取り組む姿勢も変大きくわっていくことと思っています。このプロジェクトが、そういった機運を作る起爆剤になってほしいですね」。

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